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jcf氏へ 私は、 「http://blogs.yahoo.co.jp/anti_hirai/44422084.html#46628385 ではこれ以上書かない」 と約束してしまったので、そこでは書けません。 だから、jcf氏には返事しにくいのです。 第一これ以上、この議論をあそこでしてしまえば、あそこのブログの主さんにご迷惑をかけてしまいます。 でも、あそこで議論して驚いたのは、「核武装論」も一定の根拠と理屈があるのに、原子力推進者の人たちが「核武装論者」に「某団体」とレッテル貼っているくらいしかない状態では、「原子力の平和利用∧核武装反対論」は根拠無しと見られて仕方ないだろうし、そういう調子では議論を否定し避ける傾向になるので、「自主・民主・公開」の原子力基本法の「民主」の精神に反してしまいます。 プルトニウムであれば真の平和利用(非軍事的利用)を考えるにあたって、「軍事利用」という逆の事を徹底して考えないとならず、それを考えずに「平和利用と唱えて、軍事転用の危険の高いプルトニウムを利用する」というのであれば、まともに平和利用を考えていないという意味でもある。 プルトニウムの軍事利用を避けているようでは、プルトニウムの平和利用は覚束ないのです。極端に言うと、プルトニウムは軍事利用の経験があってこそ、平和利用を議論する資格がある。 だから私は、「プルトニウムを使う事になれば、あらゆる意味で重荷を背負う事になる」とそう言いたい訳です。 もし、貧困が撲滅できて「戦争・紛争をする意味の無い世界」になれば、そのときこそプルトニウムサイクルが平和利用できる。 ただ現在のところ、世界の大多数の人々は戦争したりされたりの状態で、そこにプルトニウム利用というものを広めるのは、「核爆弾の大売出し」みたいなものなのです。 (ひねくれた言い方では、「人類の精神レベルが低くて、プルトニウムを平和利用するほどの、「悟りの境地」にはないのです。まだプルトニウムは早すぎるのです。) それに比べて、232Th−233Uサイクル(トリウムサイクル)では、こういう議論を深めなくてもいい。 というのは、233Uを使っての核爆発実験があったと聞いているけど、結局実用化したのは濃縮ウラン原爆とプルトニウム原爆だけだったからです。つまり、233Uでは核武装のための兵器としては実戦的ではないと証明されたという事です。 それに、欧米とくに米が、核拡散抵抗性が強いとして注目している。 また、核軍備拡張の邪魔だから、トリウムサイクルは隅におかれた歴史がある。 これらは、トリウムあるいはトリウムサイクルの「非軍事的能力の実績」であります。 よって、トリウムサイクルなら平和利用とその拡張展開は、もっと楽に速く行える。こっちのほうが日本の進むべき道だと思うのですがねえ。 トリウムによって核拡散の危険性が少ない分、もっともっと海外に輸出して稼ぐ事も可能になり、日本は国富も積めるし、平和利用の先頭にも立てる。良い事尽くしです。 ところが不思議なのは、そういう利益が期待できるにもかかわらず、なぜかわが国はプルトニウム利用に集中し、やけに大量の資本投下をしてきている事です。このため、米国などから「日本は核武装する気じゃねえか」と警戒されている。 こうした原因の一つは、「研究費欲しい問題」ですが、もう一つは「プルトニウム推進、核武装反対」という「合理性の無いポリシー、あるいは単なるメンタリティとかイデオロギーに染まっている」からではないかと思うのです。 そこで、「プルトニウム推進にして核武装反対」という日本の多くの原子力関係者の言う事が「合理性のあるポリシー」かどうかを、ここの観客様と一緒に考えてみたいなあと思うのです。 1.<プルトニウム爆弾を欲しがっている国は沢山あるだろう> ではまず、以下の文章を引用しまして、ゆっくり考えましょう。 これを見ると日本の原子力関係者は、 “紛争地域や政情不安定の国々に「プルトニウム原子力」を持ち込めば、たちまち平和になる” とでも考えているのではないかと辛い思いになります。 これは大きな間違いです。 私達が「プルトニウムの平和利用と高らかにのべ、そうすることができる」のは、我々日本人が2.5パーセントの幸運にあやかっているからです。 他の方々は、「生きるために戦っている」のが多く、プルトニウムが手に入れば万難排してでも爆弾を作るでありましょう。 生きるために。 生き残るために。 (以下引用) "第二次世界大戦が終結してから今日まで、世界に現存する194ヶ国(今年の6月に新しく加盟したモンテネグロを加え国連加盟192ヶ国+台湾+バチカン)の中でこの間に戦争を体験していない国は8ヶ国(+バチカン)にすぎない;アイスランド・ブータン・デンマーク・フィンランド・日本・ノルウェー・スウェーデン・スイス。これら8ヶ国の人口は世界の人口64億1560万人(2005年1月現在の国連による推計)の2.5%:1億6千万人足らずである。" (引用おわり) 2.<日本が核武装してもおかしくない事情> あと、日本には核武装するほどの合理性・緊急性もある。 北朝鮮が一応, 核実験に成功したし、中国は日本に核ミサイルを向けている。 そういう急迫事情を全く述べずして、「“質が低くても爆弾になりうるプルトニウム”の平和利用をする」なんていう話を信じるほど、「人類」っていうのはおめでたくない。 日本は準核兵器保有国だからこそ、そういう国の攻撃から守られているし、米国の核の傘というものがあって、実質的には核武装で国土を守っています。 以下はFAS(アメリカ科学者連盟)のHPの一部ですが、ある意味「日本が核武装しても不思議ではない事情」が書いてあります。 (以下引用) Japan's small size, its geographically concentrated industry, and the close proximity of potentially hostile powers all render the country vulnerable to a nuclear strike. North Korea's attempts to develop nuclear weapons coupled with its capability to target Japan with any weapon that it developed, is a matter of great concern to Japanese military strategists. Events on the Asian mainland could also affect Japan. From the early 1970s, China possessed a nuclear force capable of striking Japan. Having renounced war, the possession of war potential, the right of belligerency, and the possession of nuclear weaponry, it held the view that it should possess only the minimum defense necessary to face external threats. The Japanese government values its close relations with the United States, and it remains dependent on the United States nuclear umbrella. During the Sato cabinet in the 1960's, it is reported that Japan secretly studied the development of nuclear weapons. On 17 June 1974, Japanese Prime Minister Tsutomu Hata told reporters that "it's certainly the case that Japan has the capability to possess nuclear weapons but has not made them." This remark aroused widespread concern in the international media at that time. Japan's nuclear power program based on reprocessed plutonium has aroused widespread suspicion that Japan is secretly planning to develop nuclear weapons. Japan's nuclear technology and ambiguous nuclear inclinations have provided a considerable nuclear potential, becoming a "paranuclear state." Japan would not have material or technological difficulties in making nuclear weapons. Japan has the raw materials, technology, and capital for developing nuclear weapons. Japan could possibly produce functional nuclear weapons in as little as a year's time. On the strength of its nuclear industry, and its stockpile of weapons-useable plutonium, Japan in some respects considers itself, and is treated by others as, as a virtual nuclear weapons state. (引用おわり:羽田孜首相は1974年の首相ではないように思うけど・・・) 日本の核武装を考えるに当たって、中国・北朝鮮のことを考えるのは重要ですね。 ついでに、こういうものもありました。 http://www.fas.org/nuke/guide/japan/missile/FBIS-EAS-96-227.htm (↑これが面白いのは固体燃料ロケットで核ミサイルという実戦的な考えである事。中国も、即座に発射可能である固体燃料での核ミサイルだったと思うのですが・・・) 事情が事情だけに、日本が核武装してもしかるべきなのでしょうが、諸制約で「準核保有国あるいは準核武装国」なのですね。 3.<準核武装という日本流核武装法のもたらす危険> けれども、この英文にあるような日本のこういうやり方、つまり、 「核武装の能力を持ち、実際には核武装をしていない」 が 「こっちがそうなら、ウチは本格的に核武装するぜ。その能力は十分あるからのお。ええんかいや」 と発言したり、 「(実際には武装していないが)十分な核武装能力を持つ事で、“無言の脅威”を与え、“無言の威嚇”をする」 というやり方は、明確な核武装宣言よりも遥かに厄介な前例を作ったとも言えそうです。 というのは日本流のこのやり方は、 「原子力平和利用をしつつ、核武装と同等の効果を得る、画期的な(安いし、平和利用の旗を掲げて実践しやすい)核武装法」 であって、 「抑止力として明確に核武装するという、第二次大戦以来蓄積された明確なルールにのっとった方法」 とは異なり、実質的に歯止めをかける規制が成立しないのです。 そのため、理論的には、 「際限の無い、核武装能力拡張競争」 に突っ込んでしまう危険が有るのです。 何のことは無いですよ、 「核武装による核冷戦の時代」 から 「平和利用を通じての核武装能力による、核冷戦の時代」 にシフトするだけの事です。 多くの国々が平和利用と称して、プルトニウム利用技術を持ち、「核武装能力」を持ったとする。別に核武装しているわけではないので、平和利用です。 ところがある時、何かの軍事的緊張が発生したので、その能力を使って一気に核武装してしまう。 そして、(ドサクサに紛れて)我も我もと核武装してしまい、多くの国々が一気に核ミサイル・核爆弾・核地雷で武装する。 そういう状態になれば、どこかの国の間違いで偶発的核戦争になる危険性が高い。 そうなれば、世界はあっという間にヘルタースケルターになってしまいます。 プルトニウム利用がもたらす世界というのは、そういう不穏な空気と、言いようの無い恐怖に包まれた世界と言えそうです。 *********************************** (独り言として) 以下のマクナマラ先生の教訓がどういう文脈で語られていたのかは知らんのだが、以下の教訓は、本当にそのとおりだと痛感します。 “教訓7:目に見えた事実が正しいとは限らない” “教訓8:理由づけを再検証せよ” “教訓9:人は善をなさんとして悪をなす” “教訓10:"決して"とは決して言うな” “教訓11:人間の本質は変えられない” 今回私が話そうとした事が、教訓7と教訓8と教訓11に沿っていて、話題が教訓9に通底していたら有り難いのですがねえ・・・ |
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