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help リーダーに追加 RSS なぜトリウムか(1−3):「平和利用と称しての」軍事転用の意思をを客観的に判定するため

<<   作成日時 : 2007/03/05 01:38   >>

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 まずは、ここに「核軍事利用の能力(客観的要件)と、核軍事利用の意思(主観的要件)」という考え方を教えてくださった「ねこかぶり」氏に感謝いたします。
 この考えにより、問題がだいぶ明確化できました。
 さて、
http://10767277.at.webry.info/200703/article_13.html
で言いたかったこととは、以下のような事です。

 日本の原子力界の考えでは、
“「核軍事利用の能力」と「核軍事利用の意思は別」であり、核軍事利用能力があっても、核軍事利用の意図が無ければ、原子力平和利用である。”
という認識です。

 ところが、こんな認識は、核拡散防止にとって実践的でないどころか、核拡散の温床になってしまうのです。
 というのは、“人間の心など見抜けるものではないし、いつ、どう心変わりするのかわかったものじゃない”からです。
 その中で、「大量殺戮兵器に容易になりうるプルトニウム」を使った原子力システムを広げれば、「核武装能力がある」と宣言して核武装同様の外交上の効果を得ようとしたり、プルトニウムシステムの平和利用を拡大する事で別種の冷戦「平和利用と称した核武装能力拡大競争」が起こり、これには限度がない事。
 もし、多くの国が一気に核武装すれば、核軍事力の勢力均衡に大きな異常が発生し、最悪の場合核戦争になる危険が有ること。
 日本がプルトニウム利用を広める事にでもなれば、そういう「陰湿な恐怖」「言いようの無い不安・恐怖」を広めてしまう事になるという事。

 日本のプルトニウム利用を支えているこの認識では、核拡散の温床になってしまうのです。

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